はじめまして、よっこと申します。
ご訪問いただき、ありがとうございます!
休憩室へようこそ。
ゆっくり休んでいってくださいね^^
よっこはこんな人
秋田県出身
千葉県で生まれましたが、
幼稚園からは両親の故郷である秋田県で暮らすことになったんです。
高校まで秋田で暮らしましたので、
堂々と秋田県出身を名乗っています笑
両親のルーツは秋田にありますから、いいですよね??
18歳から関東圏に住んでおり、結婚してからはずっと東京住み。
でも、都心よりは故郷のような風景が残る都下が好きですね。
今住んでいるところはどこからでも山が見えるので、
毎日その景色に癒されています。
最高にねこが好き
猫の保護活動をされている方から、保護猫の
エル(三毛)とゾーイ(キジトラ)
を譲り受け、
長年の夢だった猫たちとの生活を2017年にスタートさせました。
「私は私のままで」
ふたりを見ていると、「私は私のままでいいんだ」と思えてきます。
職場で神経をすり減らし、ご近所づきあいも下手。
子どもたちが小さい頃はママ友と呼べる人だって何人もいなかった。
そんな世渡り下手な私でも「私は私のままでいいんだ」と思えるようになったのは、
ふたりと一緒に暮らすようになってからです。
猫飼いさんならおわかりでしょうが、猫は本当に気まま。
寝たい時に寝て、食べたい時に食べてまた寝る。
飼い主に甘える時だって、気分次第です。
だから、私が「明日仕事行きたくないなぁ」と悩んでいる最中も
全力で寝てたりします(笑)
その寝顔を見ていると、癒されるのと同時にいい意味で
「どうでもいいか、そんなこと!」
という気持ちになってくるから不思議です。
「ママさん(私)がそーやってくよくよしていても、世界は回っているし時間は過ぎているよ」。
ガチガチに固まっていた私にふたりがそう教えてくれたように思います。
介護福祉士として。20年の歴史
2000年に介護福祉士の資格を取得。
特養10年 ➡病院7.5年 ➡現在勤務している病院は令和元年から勤務。
2度の転職を経験しています。
子供の成長に合わせて仕事形態も変化
就職とほぼ同時期に結婚、出産を経て
育休もそこそこに復帰。
子どもたちが保育園時代は仕事に楽しさややりがいを感じ、
ガムシャラに毎日を過ごしていました。
行事の準備をするために
夜勤明けで何時間も居残りしたり、
休みの日でも職場に出向いてケアプランをたてたり。
(今では考えられないし、
そういうことはしてはいけないと考えています。
業務は業務時間内に収めるべき、ですね。)
若かったですね・・・。
毎日、ほぼ仕事のことしか考えていなかったように思います。
そして時は流れ、
長女が小学校にあがってしばらく経った頃。
「なんだか長女の様子がおかしい」
そう感じることが次第に増えていきました。
嘘をつく。
目を合わせない。
学校の話をしない。
精神状態が不安定になりつつあったのです。
学童にお迎えに行くと、教室に残っているのはいつも長女だけでした。
「明日も学童?」と聞かれ、
そうだよ、と答えたものの
「このままではいけない」
「もう少し仕事をセーブして子供たちに目を向けなければ」と
うっすら感じるようになっていったのです。
そこで、3歳年下の次女が小学校に上がったのを機に
10年勤務した特養を退職し、
初めての”専業主婦”をすることに決めたのでした。
今度は私のメンタルが・・・
いつも家にいなかった私が
「おかえり~」と迎えてくれることに
子どもたちは思った以上に大喜びでした。
「今日もお家にいるんだよね」
「もうお泊まり(夜勤)行かなくていいんだよね」
としばらくは毎日のように聞かれました。
嬉しさの反面
「今までそんなにさみしい思いをさせていたんだ・・・」
と、心がえぐられる思いでした。
専業主婦生活を始めてしばらく経った頃。
「行ってきまーす」と子供たちが学校へ行き
一通り家事を済ませてお昼を食べたら、
なんだか時間が空いてしまっている。
おやつを手作りするほどまめじゃないし、
近所のママ友とのおしゃべりも興味ない。
(というか入っていけないし)
次第に時間を持て余すようになっていきました。
しかも。
あれほど「ママがうちにいてくれて嬉しいな」
と言っていた子どもたちも、
放課後お友達と遊べるようになって
帰宅と同時にすぐ遊びに出かけるようになっていきました。
子どもたちが自分の世界をどんどん広げていく一方で
取り残されていく自分。
次第に焦り始めました。
「あぁ、外に出たい」。
次第に気持ちが抑えられなくなり、
子どもたちが学校にいる間だけできる短時間バイト(介護ではない仕事)を見つけ
家の外に出るようになりました。
しかしそこで、人生観を揺るがす大事件が起きるのです。
2011年3月11日。
東日本大震災です。
「外へ出たい」
その瞬間は建物の中にいたのですが、
「このまま潰されて死ぬかも!」
という恐怖をあじわいました。
幸い家族も全員無事でしたが、
テレビに映し出される各地の被害状況を観るにつけ
「今生きている私は何をすべきか?」
という思いがグルグル頭をめぐっていました。
あの日の出来事は私の人生観を一瞬で変えました。
「やっぱり好きな仕事をしよう」
少しづつでいいから
介護の仕事に復帰したい。
せっかく子どもたちの様子も落ち着いてきたので夜勤はせず、
今度は日勤パートで働ける病院に転職をすることにしたのでした。
自分を認められない日々
日勤パートで週3日勤務。
ここでもガムシャラに働きました。
「家庭(子どもたち)のこともちゃんとする」
ことを念頭に置いていたので
「無理はしない、のめり込まない」をモットーに
パート勤務を選んだのでした。
が、それでも日々ガムシャラになって疲れてしまう自分。
なぜか?
今思えば、
承認欲求がおそろしく高かった
のだと思います。
「パートですけど、社員さん並みに働いていますよ」
「ちゃんと考えて働いていますよ」
「いろんなところに気が付く自分、使えますでしょ?」
自分をよく見せたくて、必死になっていたように思います。
(青い・・・青すぎて赤くなっちゃいます・・・)
そしてガムシャラになってしまうもう一つの理由。
それは
異常なまでの自己肯定感の低さ
すべてはここからきているように思います。
負のエネルギーからの脱却のきっかけはまさかのアレ
「できない自分を見せたくなくて、良い印象を持たれるように必死で働く(取り繕う)」
ことが常になっていた自分。
その負のエネルギーの源泉は
「コンプレックス」であり
「自己肯定感の低さ」。
それを取り除けば楽に生きられる、という考えにさえ至らないくらい
当時は盲目的に働いていました。
「自分をいじめていた」、そうとも言えるでしょう。
疲れを癒すという名目でお酒で泥酔したり、
今日は特別頑張ったからご褒美と称してお菓子を際限なく食べたり、
一日中携帯ゲームで時間を費やしたり。
でもそれが自分には許されるんだ、
こんなに身を粉にして働いているんだから、と
謎の言い訳で自分を洗脳していたように思います。
でもある日突然、その洗脳・呪縛が解ける日が訪れたんです。
新型コロナウィルスの襲来です。
自分の人生を生きよう
「え、新型コロナウィルスで?なぜ?」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。
医療従事者はリモートワークはできません。
そのため勤務の日は、電車に乗って通勤しなければなりません。
新手のウィルスの情報が少ない初期は、
『いつか自分も罹ってしまうかもしれない』という恐怖と戦う毎日。
駅で人とすれ違うだけで感染するのではないか。
そんな事ばかり考えていました。
心配性の私の思考はどんどんマイナスの方向へ傾いていき、
ついには
「明日、死ぬかもしれない・・・」
という究極のところまで落ちていました。
落ちて落ちて、ひとしきり落ちたあと。
急に
「そうだ、明日死ぬかもしれないなら、好きなことして死のう」
ふとそう思ったんです。
極端ですよね。でも。
人の顔色を窺って仕事するのはやめよう。
自分を否定している暇はない。
人の人生ではなく、自分の人生を歩もう。
人を愛する以上に、自分も愛そう。
そういう結論に達したのでした。
年齢的にももう折り返し地点に立っており、
子育ても気づけば卒業間近。
自分に目を向けられるようになったタイミングもあったと思いますが。
私は私の人生を生きることにしました。
2020年夏の或る日のことでした。
正直、介護職って体が丈夫でないと務まらない部分もありますから、
定年までずっと続けていける自信はないです。
だから長くてあと10年くらいかなぁと考えてます。
10年後、介護の仕事を辞めたとして
私に何が残るだろう。
違う世界を見たい。
そう考えて「副業」を検討していた時、
「私にはブログが向いてるかな?」
と思ったんです。
それがブログとの出会いでした。
ブログとの出会い(2020.9~)
介護の経験を活かしてブログを書く。
それが大きな柱ではありましたが、
なんせド素人ですから右も左もわからない。
それからはパソコンの前で勉強の毎日でした。
仕事は好きだけど、精神的・身体的に疲れることもあって、
「英気を養う」という名目の元、怠惰な生活を続けてきたそれまでの私の生活は一変。
『時間が足りない』。
そう感じるほどににどんどんブログを書くことにのめり込んでいきました。
ブログからビジネスへ(2021.1~)
YouTubeから聞こえてきた「今日が一番若い日です」という言葉を座右の銘に、
当【びぃだまブログ。】を立ち上げたのが2020年9月。
そこから新しい目標が見えてきました。
ブログを書きつつ今はビジネスについて勉強中。
YouTubeやメルマガで、自分に合ったスタイルを模索中です。
様々な考えに触れ、知識が自分に蓄えられ詰みあがっていくのは本当に楽しいです。
「会社辞めたいからビジネス1本で頑張る!」という方もいらっしゃいますが、
私は介護の仕事も好きだから、
本業をしつつ副収入(不労所得)を増やす方法を模索しています。
そして、いづれ体力の限界がきた時に後進にスッと道を譲れるよう、
20年培ってきた知識や経験を語りながら
定年前に現場から静かに去るのが今の夢です。
40代からでも、自分の人生を生きていける!と、
こころ持ち一つで人生が変わっていくのを日々実感しています。
来て下さったあなたへメッセージ
将来について悩みを抱えている。
先輩のことで困っている。
夜勤がつらい。
そんな方たちのココロとカラダをゆるめられる休憩室に。
そして未来を見据えた働き方のヒントなども提供できる管理人でありたいなと考えています。
疲れたらいつでも遊びに来てくださいね。
管理人 よっこ